おもしろい人、ものが集まって
コラボレーションする。
それがアートの新しいカタチ。
東日本大震災を機に価値観が変わった。
通天閣のお膝元・新世界市場にて、創業だいたい100年の金物・荒物屋さんのミヤウラ。まず鍋のタワーがお出迎え。でも特に通天閣を意識したわけではない。ただお客さんが見やすいようにというお心遣いなのです。このお鍋、おばあちゃんのダイドコで見たような懐かしさもあるけど、本蓚酸加工で耐食性が強く、熱伝導がよいので最近では若い人も購入されるそう。昔からの日本の技術、やはりあなどれない。そんな暮らしの知恵があふれている店内に一歩足を踏み入れると、ドキドキの連続が待っていた。ハイカラな意匠で会話に花を咲かせるコーヒーカップ、バーカウンターで紳士淑女にそっと色気をそそぐショットグラスや一服をより美味しくさせるどっしりとした灰皿、財布に忍ばせいつ何時もクールガイをの車のミニキーに、冷めないようにってお母さんの優しさの詰まった蓋付きお茶碗…溢れかえるモノたちに触れると、いつかのあのときへタイムスリップしてしまった。
そういえば使っていたなあという人、多いのでは
まだまだタイムスリップスイッチは終わらない。鉄人28号の弁当箱なんか学校にもって行った日にはたちまち皆に囲まれただろうな…著者はアラサーなので少ない知識を総動員して妄想に走る。それに、昭和そのまんまの店内では「ナニアレ?」に沢山出会える。そんなときは、お店の人に聞いてみよう。合鍵職人のお父さんには昔の若者のかっこよさの演出方法を教わったり、看板娘のおばあちゃんの笑顔を見れば丁寧に暮らすことっていいなと思ったり、+αの収穫ができるから。
上:純喫茶への憧れがわく 下:暖かい手作りの皮小物も
レトロな色で形でアイデアで訪問者のハートをそっとくすぐってくる無数の「ナニアレ?」なものたち。
「モノ」を選択して使うことによって、ちょっとなりたい自分を演出したり、誰かとの会話が生まれたり、暮らしのなかの楽しみが今よりほんのり上乗せされたり…あわただしい現代の生活と流れる時間が違うこの場所で、モノを使うことって思っている以上に楽しいことなんだなと気がついた。「ちょっと立ち止まってみてみてみ」もの言わぬ彼らに、そう言われた気がした。
雑多に並んだこの感じがたまらない
万一に備へて…これさえあれば安心スマート
取材・文・写真/後藤 真悠子