大阪生まれ、大阪育ちのナニワ人情で
新世界に来る人たちを魅了したい!
ディープな大阪を案内したいこれが、俥夫としてのミッション
暗いニュースが続く日本に笑顔を届けたい…。私は、殿様のようなちょんまげを結い、着物に身を包んだ格好で、日本列島を歩いて縦断しています。昨年の6月15日に「天下統一」をもじった「天下笑一」を掲げて、北海道・宗谷岬をスタート。「あなたの笑顔は美しい」と手書きしたのぼりを手に、着替えやテントを積んだ特製ベビーカーを押して、日本各地を巡っています。5月24日に到着した大阪は、28都道府県目。それまでは、東北大震災の被災地を訪れて復興支援を行ったり、富士山を登頂したりと、日本のいまの姿に触れながら価値ある経験を積み重ねました。このあと、神戸、山陰、山陽、四国、九州の順で巡り、母の誕生日である9月12日に長崎県の実家にゴールする予定です。
そんな私の本職は、N.Y.を拠点に活動するパフォーマーです。一時期はサラリーマンをしていたものの、人を楽しませるという夢が忘れきれず、エンターテイメントの本場・アメリカへと旅立ちました。日本一周を決意したのは、アメリカでわが子のように世話してくれた“アメリカの母”が他界したのがきっかけです。彼女とのつながりを感じたいと考えた私は、彼女の生まれ育ったN.Y.から彼女のお墓があるカリフォルニアまでを横断。人生で大切なものを見返す機会になったと同時に、「日本一周して、日本中のみんなを笑顔にしたい」という思いが芽生えました。ちょんまげは旅の途中、所属する男声合唱団が大リーグの試合で米国国歌を歌ったときに、パフォーマンスで結ったのが始まり。この姿は、日本のみんなを笑顔にするツールになると考えました。
下:アメリカの母の遺骨
日本に帰ってきてからは、一日40キロ近く歩いています。突然大雨に見舞われたり、テントをはる場所がなかったりと旅にトラブルはつきもので、精神的にも体力的にも辛いと感じることはあります。それでも歩き続けられるのは、「各地のみなさんと交流することで、笑顔を生み出したい」という信念があるからです。いま、私はアメリカの母の遺骨と一緒に歩いています。私が、日本を横断しようと考えたもうひとつの理由が、私の生まれ育った場所に彼女を連れて行くことが、いちばんの恩返しだと考えたからです。歩いて長崎に戻ることは、日本の母とアメリカの母の双方に親孝行ができた証拠。全国制覇したあとは、アメリカに帰国してみんなに報告したいです。
取材・文/櫻井 千佳 写真/山下 拓也