おもしろい人、ものが集まって
コラボレーションする。
それがアートの新しいカタチ。
東日本大震災を機に価値観が変わった。
1970年大阪万博の映像資料が流れ続けている店内。ミッドセンチュリーを中心とする今の感覚にもぐっとくるようなあらゆるモノが所狭しと並んでいる。
第二次世界大戦が終結し、日本は全てを失い何も無い状態から世界に通用する国になるためにリスタートした。
お手本はモノを長い年月かけて大切に扱うヨーロッパの精神で、丹精こめて一生モノのものづくりに励んだ。いわゆるミッドセンチュリーのこの期間に作られたデザインと機能性・耐久性を兼ね備えたモノたちこそ、メイドインジャパンの軸である。
しかし1973年のオイルショックで大量生産・大量消費の時代に突入。じっくり高品質なものづくりをする“いい”企業が相次いで倒れ、結果その製品を世に流通させる手段がなくなり、無名なモノたちは埋もれてしまった。たとえ本質的に良くても、肩書きがないと苦しいのがこの日本のジレンマかもしれない。
そんな不遇な運命から救われたのが、ここに並んでいる生活のお供の道具達だ。
今考えると、かなり豪華なノベルティだ。
「グラスの底に顔があってもいいじゃないか!」と岡本太郎が世に放った強烈な言葉を体現したそれは、ここでも存在感を放っている。そう言えば、わたしの祖父母宅にも確かこれが今でも健在している。
岡本太郎の太陽の塔は、世界に追いつけ追い越せの日本が“いいモノはいい”という勢いで物事を推し進めていった時代の象徴だった。こんなぶっ飛んだ仮設建造物に国が巨額の資金を投入することは、過去にも未来にも、もうないだろう。
いつか家のどこかで見たような懐かしさと、生活感をまとったモノたちは、実は歩んできた道のりがあり、ストーリーテラー=店主の話に耳を傾けるとより一層彼らに興味と愛着が沸く。
昔家にごろごろあったようなもんが、忘れがちな何かを教えてくれる。
いまでこそクールジャパンと言われるようになったけど、実は昔からずっとそうだった。当たり前すぎて、その良さに気付いていない人が大多数かもしれない。
今の人は感覚的に「かわいい」「いいな」という言葉をよく使う。
それは物事をフラットに見るようになっている良い兆しであるが、それだけでは結局消費するばかりでまた捨てられ埋もれてしまうと店主は危惧する。
なのでそのモノが歩んできた道・作り手の思いを伝えて愛着を持ってもらうのが彼の目的である。
「“知らない”というだけで切り捨てるのはもったいないから伝えたい」―言葉の端々に、その愛情がモノと同様溢れかえっていた。
当時主流だったペンダントライトの光と相性のいいピコットガラス。
懐かしい柄や、独特の色味。あの時の音や匂いを思い出す。
取材・文・写真/後藤 真悠子