おもしろい人、ものが集まって
コラボレーションする。
それがアートの新しいカタチ。
東日本大震災を機に価値観が変わった。
毎年1月の9、10、11日に開催される今宮の「十日戎」。このお祭りは、七福神のお一人「えびす神」に直接福徳を授けてもらうため、その年の商売繁盛・家内安全を祈願する関西地方特有の祭礼行事です。参詣者はえびす神の依笹とされる福笹を授かり吉兆をつけて家の中で祀り、翌年にこれを持って参詣し、新たな福笹にかえます。
江戸時代中期、貨幣経済の発展に伴い、船で諸国に出向く商人たちが増え、旅の安全と商いの繁栄をえびす神に祈った事からえべっさんは広まりました。また、「商売繁盛で、笹持ってこい」のお囃子(おはやし)が生まれたのもこの時代で、今も残る宝恵駕籠(ほえかご)には南地の芸者衆が駕篭に乗って参詣したそうです。
元々漁業の神として信仰されていた「えびす神」ですが、漁介・農山村の収穫物の交易により商売の神とされていきました。かつて今宮の一帯は海浜の漁村で、海産物の商いの場として栄え、四天王寺の近くでもあることから、「海・山・里」の幸の物々交換の場となり、「市(いち)」として発展し、「雑魚場(ざこば)」から現在の木津市場へと発展してゆきました。そのためか、笹につける吉兆は「野・山・海」の幸をかたどったものが使われています。その吉兆の中で、えべっさんも抱えている「めで鯛」ですが、「めでたい」は「めでたし」の話し言葉で、それほど古い言葉ではないため、赤い色彩や姿、味の良さから吉兆魚とされたのではないかと言われています。
参詣の道筋(左:古地図・右:現代地図)
本家本元のえびす神社と言われる西宮戎神社は今宮のえびす神の祖神(おやがみ)であり、西宮恵比寿を「本宮」とゆうのに対し今宮戎は新しい宮、今の宮の意で今宮とされ、今宮の地名もこうした事由によるものだそうです。
今宮の十日戎と同じ日に、近くの大国主神社でも「大国まつり」が催されています。大国主神社は敷津松之宮の境内にあり、今宮のえべっさんと並んで商売繁盛・諸願成就の福神「木津の大国さん」と親しまれる日出大国神が鎮座する神社です。大国さんとえべっさんは大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)と事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)といわれ、2人は親子神とされ、お父さんの大国様と子のえびす様の両方に参ると縁起が良いと言われています。
大阪名所図会より
えびす神のお祭りは、地域によって著しく異なるそうですが、毎年百万人程の人が参詣する今宮の十日戎では、「えべっさんは耳が遠いから」と参拝後は本殿を右回りで裏へ行くと、羽目板を叩いて、大声でもう一度お願いごとをして念をおすとゆう風習があります。
江戸時代から続く十日戎は、「天下の台所」と称され発展してきた大阪にふさわしく人々の篤い信仰により現在も盛大な行事として続いています。
参考文献/「大阪名所図会」「大阪名所むかし案内」「全国のえびす信仰」「大阪名所図会を読む」、サムネイル画像/「全国のえびす信仰」より